まちづくりを住民の手で
  住みよい地域のため我慢も
古村伸子

 最終回は、暮らしやすい住まいづくりのための、まちづくりのお話をしましょう。
 「ここにずっと住み続けたい。だから、二世帯住宅を建てることができて、安全に暮らせる街にしたいんです」。こうおっしゃったのは、神奈川県の住宅地で私がご一緒した四十代の女性まちづくり委員さんでした。
 昭和三十年代に開発された一戸建て住宅地。住民の大半が高齢期を迎えていました。
 住民は「子世帯と一緒に暮らせる二世帯住宅に建て替えたい」「日々の買い物ができる店が、歩ける所にできるよう、法律を変えてほしい」と行政に要望していました。比較的狭い区画が多いため、二世帯に十分な面積の住宅への建て替えは当時の法律では難しく、商業施設の出店も制限があったからです。
 行政は、一定の条件に住民が合意すれば、建物の面積制限の緩和を検討すると答えました。条件とは、災害時の救援活動などがしやすい安全な街にするため、宅地の細分化を規制すること、道路や隣地から一定距離以内には建物を建てないこと、境界は生け垣など開放性のあるものにすること、といった内容です。
 しかし、合意を形成するめども立たず、行政のやる気も確認できず、住民のリーダーであるまちづくり委員たちは不安に陥りました。そんなとき、住民と行政の橋渡し役として、私が呼ばれたのです。住民の要請を受け、行政が費用を出す形でした。
 住民は長年にわたり、集会所づくりなど多くの成果を挙げていました。私は「合意形成は困難だが、この地区ならきっとできる」と委員たちを励ましました。
 道路と建物の距離を測ったり、専門用語を解説するまちづくりニュースを毎月発行したり。さまざまな活動を続けるうちに、委員たちの頑張りが住民全体に理解されていきました。説明会が紛糾するなど、多くの問題も起こりましたが、時間をかけて合意にたどり着きました。
 そのときのまちづくり委員さんの言葉がとても印象的でした。「二世帯住宅が建てられても、安全でなくては意味がない。住み手一人一人が少しずつ我慢しなければ。その意識を住民が共有できたのですね」(古村伸子・まちづくりコーディネーター)